認知症 その2
『認知症だからといって、
●何も分からなくなった人
●何も出来なくなった人
になってしまう訳ではありません。』
と前回記事に書きました。
介護職員として認知症の方と接しているなかで感じたことですが、日常生活の長い時間を共にする家族にしてみたら、腹立たしい思いがするかもしれませんね。
介護職員が接するのはその方の24時間のうちまたは一週間のうちほんの数時間であったり数日であるし、職場を出れば自分の生活に戻れるのですから。
これは元々の性格なのかしら?
認知症の症状がそうさせるのかしら?
(プンスカ!!怒)
と思うことは・・・正直しばしばありました。
新人ヘルパーの時、常に不機嫌な認知症の進んだ方(女性)を担当したことがあります。
(ご近所さんの反応を見るに)元々の気質はかなりあるのでは、と想像しますが、
知らない人が突然家に上がり込んで、台所に立ったり、勝手に掃除機を使ったり、何やかんや指示してきたりして(してないけど)、
誰よアンタ!何なのよ!
という、不安や恐れがあったことと思います。
結果的に家には上がり込みましたけど、ちゃんとご挨拶しています。
すぐに忘れられますけど。
ヘルパーさんというのは分かっているけれど、知らない人が家の中を動き回る不信感、
主婦として一家を支えてきたのに役割を取り上げられたような思いがあったかもしれません。
年齢によりいつの間にか出来なくなっていることに気づき苛立ちと寂しさを抱き、一方では受け入れられない。そんな葛藤が無意識にあったのだろうと思います。
実際、葛藤があったかどうかは今となっては知る由もありませんが、その後出会った利用者さんとのやりとりのなかで無意識のうちの葛藤を知ることになりましたので、おそらく不機嫌な彼女もそうだったのでは、と思います。
知らない人が自分の家の中を勝手にウロウロしている、と想像してみると誰だって嫌ですよね。認知症の有無、年齢に関係なく。
そんな彼女。基本不機嫌ですが時折労ってくれたり、夏場には暑苦しい私の黒髪を褒めてくれたりするのです。
で。何が言いたいかというと、
認知症が進んだといっても不機嫌にも理由があるし、人への優しさも失ってしまったわけでもない。
社会性の全ては失われないし、心は常に動いている、ということです。
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