介護と孤独
認知症と言っても、何もできなくなった困った人になってしまうわけではないです。
認知症の進行によっては社会生活、日常生活に支障が出てきますが、
これまでに積み重ねてこられた経験、ユーモア、社会性の全てを失ってしまうわけではないと思います。
なんて綴ってきましたが、そう思えるのは仕事だから、かもしれません。
ほぼ24時間365日の生活となると『そうも言っていられないのよ』という声があがるかもしれません。
たとえ家族だとしても、疲れるし怒りたくなることも泣きたくなることも多いでしょう。
ところで、数年前になりますがオット(夫)が病気で入院したことがありました。
※今は元気です。
回復に時間がかかりそうな状態だったので不安でせっせと面会に通いつめました。
まわりは心配して、
無理しないで
頑張りすぎないで
と、言ってくれるのですが、
私が頑張らなければ誰が頑張るのだろう
と思ったことがあるような気がします。
勤務時間を終えて帰る看護師とすれ違い挨拶した時には、この不安から逃げられない状態にあることを改めて確認させられたなぁ、と思ったような気がします。
当時、訪問介護の仕事をしていたのですが、ずっと介護を続けていかなければならない、時間で終わらせることができない家族の立場を実感しました。
先の見えない看病、介護において、
何だか社会から切り離されていくような感覚
時間制限なしの看病、介護による精神・心身の疲労
人の善意を素直に受け取れない罪悪感
悪意無き悪意(ヤヤコシイ…)への疲労 etc.
人それぞれに様々な事柄に出くわし、それぞれの感じ方があり、その先には孤独感が生まれていくのだと実感しました。
訪問介護の仕事では決められた日時に訪問し、仕事を終えてたら気持ちを切り替えて次の訪問先に向かわなければなりません。
良くも悪くも訪問先の玄関を出たところで気持ちを切り替えられるタイプだったので、自分の心の動きを俯瞰で見ることができたことは幸いでしたが、それでも先には孤独感があることは知っています。
後になって気づきました。自分が思っている以上に心身は疲弊していました。
主治医、看護師、リハビリ療法士、ソーシャルワーカー、ケアマネージャー、ヘルパーなど身近に頼れる人は沢山います。介護される側には。
私には頼れる人はいないんだなぁ、と思っていました。
これら医療・介護従事者はもちろん介護している家族にとっても頼れる(頼るべき)存在ですが、頼って良いものかと思ってしまったのです。皆さん忙しそうだし、って。
モヤモヤする何かを一人で抱えたまま過ごしていたように思います。
そんな経験を経て、介護している家族が少しでも肩の荷を下ろせるような存在のカウンセラーになれたら良いなと思って活動している次第です。
まずは愚痴からでもお話してみませんか?
もつれた糸をほぐすように丁寧にお話をお伺いします。 K&Aカウンセリング
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